シリコンバレーから34  「My dream came true 実現した夢」  竹下 弘美
 毎日入ってくる広告のチラシはおびただしい。郵便受けから郵便物を家の中に持ちこむ途上で目を通し、要らない物はその場でリサイクルのミックスペーパーの中に投げこまないと、家の中が紙くずだらけになってしまうことは皆さんも経験していることだろう。暮れのある日、いつものその作業をしていた私は、自分の目を疑がった。ある店の広告の一面にコットンキャンディメーカー(綿菓子作りの機械)が載っているではないか。かなり小ぶりで、チャチだが、私が幼い頃から手に入れたいと思っていた代物だ。夫にも子供にも知らせ、クリスマスプレゼントにはこれが欲しいと伝えた。夫にはパン焼き器を頼んでおいたから、これは子供二人からのプレゼントということにした。子供達は私が綿菓子を好きなのを知っているから、すぐ賛同してくれた。彼らがあらためて行くのは混んだりして時間もないだろうから、(それに売りきれてしまうかもしれないし....)ちょうどその店を通ったとき、20パーセント引きのクーポンを持っていたこともあって、自分で先に買っておいた。税も入れて34ドルだった。子供達からは後でお金をもらい、開くのだけはクリスマスまで待つことにした。物、とくに台所用品はこれ以上ふやさないと常日ごろ言っている私としてはパン焼き器も綿菓子メーカーもかなりスペースをとるものでモットーに反するが、これは例外だと自分に言い聞かせる。 「でもこういう物はあのお祭りの雰囲気で食べるからいいのよね」と日本から来た若者に言うと「それがわかっていても欲しいんですか?」とあきれられた。「パン焼き器も日本で一時はやりましたけど、ブームが終わるとどこの家でも転がってますよ」。たしかに我が家でもエクササイズ用の器具にしろ、室内自転車にしろ家の中で死んでいる。綿菓子器は特にそうなる確率が高いが、やはり欲しい。


 子供が小さいころ、クリスマスのイベントにボルサチカに行ったとき、綿菓子やさんを見つけた。子供達が欲しいと言ったわけではないのだが、すぐ買おうと注文した私の後ろで、綿菓子を欲しがる子供達を諌める母親らしき人の声が聞こえた。「あれは全部お砂糖で身体に悪いのものだから、お母さんはあなた達に買うことはできないわ」。オーダーした綿菓子を手にした私はどうしても振り返らざるをえない場所にいて、振り返るとそれは娘の友達のお母さんだった。なんとバツが悪かったことか。ところが私の子供達はそんな母親を嬉しいと思ったという。 最近日本の境内で売っているのは毒々しいブルーだったりして、その上すでにできあがってビニールの袋に入って600円もする。ちょっと興冷めだがそれでも私は見つけると誰が何と言おうと必ず買うことにしている。 私が子供のころ、まだ紙芝居やさんがいたが、私の両親は私達に紙芝居屋さんに行くことを禁じていた。たぶん、そこで売られていた水飴や怪しげな駄菓子が不潔だからという理由だったと思うのだが、子供にとってはそれらがなんと魅力的だったことか。こっそり見にいったのだが、お金をもっていなかったため、友達が捻ったセロファンでくるまれたニッキをわけてくれた。そのおいしかったこと。秘密の味は特においしいのかもしれない。でも綿菓子だけはお祭のたびに買うことが許されていた。不潔でない(?)からだったのか。
 この間、日本に行ったとき、新横浜のラーメン博物館に行った。ラーメンがいろいろ食べられるだけではなく、全体が昭和の初期に設定されていて、紙芝居屋さんが出ていたり駄菓子屋さんがあったり、実に楽しい所だ。そして、そこに綿菓子の機械が置いてあり、「やり方教えます。200円」と書いてあった。「やりたい」というと、例によって夫は軽蔑の眼差しをした。でも私がやらないで帰米したら一生恨むと思ったのだろう。結局やらせてくれた。でも私は自他ともに認める不器用。不安だったが、係りのお兄ちゃんが「僕が途中までやって、途中で替わろうか」と親切に指導してくれた。あのお祭りで固唾をのんでみはっていた、あの大きな機械だ。どんどん白い糸が出てきて、割り箸を忙しいほどまわす。途中までやってもらってその後、替わり、うまくできた。


 クリスマスが来て、綿菓子器を息子と試してみた。前もって5分間温めておいて真中に茶さじ一杯の砂糖を入れる。そうすると上についている器の中にどんどん白い糸が出てくる。初めはそのタイミングがうまく行かず、なかなか大きくできなかったが、何回もやっている間にかなり太くできるようになった。砂糖でニチャニチャになるかと覚悟していたが、かなりうまくできていて片付けも簡単だ。何回もやりながら、「ママの小さい時からの夢を実現してくれてありがとう」と息子に私の子供時代の夢を話した。大きくなってやりたかったことのひとつは、捨て猫をみんな拾うこと。これは多少実現した。それから茄子のしぎ焼きをいっぱい作ること、これはいつももうちょっと食べたいなというくらいしか、母が作らなかったからだ。それでいっぱい作ってみたが、何故母がたくさん作らなかったのかわかった。食べたくなくなるからだ。それから、大人になったら絶対に綿菓子の機械を手に入れようと決めていたのだ。今回買ってもらったから、これで動物園の飼育係になること以外、私の夢はほとんどが実現したことになる。


 今日も綿菓子器を回す。だいぶうまくなった。できあがった白い繊維の中に幼いころのあのお祭りのざわめきがきこえ、若かった亡き父と、母、姉に手を引かれた私が見える。

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