シリコンバレーから38     住めば都      竹下 弘美
 南加にいたときの住居は、どの家もプールとコンクリートの裏庭で前庭に少し芝生がある程度だった。庭師やさんが芝刈をしてくれて、プールはプールやさんにまかせていた。時々、隣の猫がコンクリートの上に糞をしていて、猫の風上にもおけないとそれをシャベルでとって隣の庭に投げることくらいしか、やることがなかった。 猫の身になれば、掘りたくてもまた土をかけたくてもそれがないからだというかもしれないが、猫党の私としては、自宅でちゃんと掘ってやってほしいと思う。日本での我が家の猫なんぞは雪の時もちゃんと雪を掘って用を足し、雪が溶けたらそれがコチコチの冷凍状態で姿を表し、これこそコフンだとembarrassして(はずかしがって)いたくらいなのに。


北加のこの家に引越してきたときは、野趣があってとても良いと思った。ここは前庭がほとんどなく、芝生もない。裏庭は石畳の間に草ぼうぼう。壊れている塀から鹿が出入りして、レモンの木などは届くかぎりの高さまで、葉を食べてしまう。初めは知らずにバラを植えたら、蕾がふくらんでくると、チョンと食べられてしまうことに気づいた。 ストックも、ボーゲンビリアもすべて花の部分が一夜にして首からなくなる。 目が合うとしばらくじっと動かずにこちらの目をみてから逃げていく。決してなつかないが、朝起きるとレモンの木の下がお気に入りでそこに座っていることもあり、春には白い斑点のある小鹿を母鹿が連れてくる。角のある父親は単身赴任でどこかにおでかけでめったに来ない。 風もないのになぜ椿の木が揺れているのかと思うと、鹿が蕾を食べているという具合。このように鹿に花は食べられてしまうので、雑草をとって花畑にする夢は消えた。それでも庭師やさんに一回きれいにしてもらおうと売り込みにきた人に頼んでみたが、あまりにも仕事をしないのであきれた。しまいには「私にそののこぎりを貸して」と私が潅木を切ってみたくらいだ。 片つけていくはずの切った木も持って行かなかった。 それに懲りて、友人にもらった電気のこぎりを使って自分で木を切るようになった。また、雑草は専門家に頼むと、抜かずに切ってあとは除草剤を撒くというやり方だから、鹿に毒になると思い、雨上がりに自分で抜くことにしている。これが大変な仕事で、うっかりしていると雑草は腰くらいの高さまで伸びてしまう。特にあざみに似たトゲのある雑草は小さいうちに抜かないと、しっかりと根をはって抜けなくなる。


 夫はぜんぜん庭に関心がない。カーテンを閉めて荒れた庭を見ないようにするくらいだ。 韓国の貴族生まれの彼曰く、貴族というのは一切の生産に携わらない階級であり、自分の手を汚す仕事はしないのだそうだ。それにしては彼の仕事は生産管理だったりして皮肉なものだ。それでは我が家での手を汚す仕事は誰がするのか。 私が彼の昼寝最中、わざと音をたてて電気ノコギリを使っていても平気の平左。助け手は夫ではなく鹿たちで、私が切ったレモンの葉や蔦が大好きで、掃かなくてもそれを食べにきてくれる。


 裏庭の先が坂になっていて、そこの雑草はすごい。 夏になると火をつけたらさぞや燃えるだろうと思うくらいの枯れた雑草のすごさ。ここは大変なので一回専門家にやってもらうことにした。時間がかかる難儀な仕事だと思って交渉の結果、七百ドルで応じたのだが、見ていたらただ刈るだけ。電気のこぎりのコードが届きさえすれば、私にもできると思った。そこで、昨年は長いコードが手に入ったのでそれを三本つないで自分でやってみた。すっかり、枯れて背丈ほどのびた雑草を日が翳ってから、少しずつやっていった。腰も痛くなるし、坂になっているので足場も悪く、やりにくかったがそれにしても、七百ドル払う必要はない仕事だ。注意していたのだが、その最中やはり一本のコードを間違えて切ってしまった。


 今年は雨が多いので、雨の間を縫っては小さいうちに雑草を抜いている。そして一箇所に黄色のマーガレットを植えてみた。マーガレットとか菊科のものは匂いがきつく、DEER FREEだと近所の方に教えてもらったからだ。つまり、鹿の好みではないのだ。そのあと、しばらく鹿の家族は姿を見せなかった。それでもいつも鹿がお座りになる場所はとっておいてあげた。隣の家の奥さんは獣医さんだが、花の見事な庭を鹿から守るため、金網の柵に電気を通して鹿を威嚇している。私のところはサンフランシスコ湾のビューがあることと鹿が庭で見られるというのが歌い文句なので、花が食べられてもそんなことまではしたくない。マーガレットのせいか、鹿がしばらく見えなくなって寂しい気さえしていた。


 先日、使い慣れた電気ノコギリが使っている最中に煙をふき、モーターが焼けてしまった。 「新しいのを買ってあげるね」と夫は私の誕生日にコードレスの電気のこぎりを買ってくれた。最近膝が痛くて薬を飲んでいる私に「膝が直るまでしてはだめ」といいながら自分がやろうという気は一切しないらしい。未亡人と思えば腹もたたない。膝は痛いがこっそり試してみた。 前のより軽くてやはりコードレスというところがいい。レモンの木とからまっている蔦を相当切った。切っているとスカットする。


 今朝起きたら、その切ったレモンの葉と蔦を食べに、 六匹くらいの鹿が庭にきていた。 気がつくと、なんとたくさんの鹿の糞が点点と…。 草食動物だから臭くはないが、これを隣にシャベルで投げるわけにはいかない。


 渡米してから今まで引越しは九回。いろいろな所に移り住んできた。この後はどこに住むようになるかわからないが、そこではどんな庭が待っているだろうか。 雑草があろうと糞があろうと、きっとどこにいっても住めば都だろう。

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