シリコンバレーから40      面食い       竹下 弘美
 私はとてもいいかげんな(良くいえば大らかな)性格なのだが、変なところにこだわる。人の顔にもかなり好き嫌いがある。けれど今回日本に帰ってそれは私だけではなく我が家の血統であり、家族皆がそうだということに気がついた。 姉家族との話の中に「その人の顔が気にいらないのよね」とか、「いい顔をしているの」などという言葉がよく出てきていたからだ。


 禿げていた父は「その人がどうしようもないことで、人を判断してはいけないよ」と自分の「禿げ」も含め私たちに常日ごろ、持って生まれた容貌について言わないようにと家族に言い聞かせていた。にもかかわらず、私たち一族は面食いだ。といってもいわゆるハンサムや美女にこだわるわけではない。そんなことをいったら、ハンサムでもなく美女でもない自分達は何様かということになる。単に自分達の好みの顔であるかどうかである。姪の結婚が決まったとき、一番初め気にかかったのはお婿さんになる人がどの手の顔をしているかであり、写真を見てほっとした。私たちの家族に似た顔ではないが、好ましい顔だった。新しい顔だちが入ってきて、また違う顔の親戚が生まれてくるだろうと思うと愉しい。コンピューターで未来の顔を作っていくのを見たことがあるが、そんな気がした。息子のガールフレンドについても息子にきかれもしないのに、「あの手の顔はまあまあ合格」と言ってあきれられた。娘のボーイフレンドにはまだ会ったことはないが、コンピューターで送られてきた写真だと、どうも鼻の形がよくわからなくて気になり、何回もコンピューターを開いて見ている。でも気にいらなかったからといってどうにもならないわけだが。また、最近、私の従兄弟の一人娘で、シャンソン歌手の竹下ユキと初めて東京のライブに出演しているところに行って会うことができた。従兄弟から、ユキさんのことはきいていたが、会ったのは初めてであった。血がつながっているから、似ているかなという興味もあった。たしかに竹下家のトレードマークのホクロがあることを見せてくれた。顔も気にいった。


 竹下家のホクロについてだが、私のホームドクターの先生は検診に行く度に私の顔をつくづく眺め、「ほくろを取ってあげる」と取りたくて取りたくてたまらない様子。彼は普通の診療時間が終わったあと、内職にホクロ取りをしているのだ。でもこれは竹下家のトレードマークだから、私は絶対彼の内職の餌食にはならない。私のほくろときたら、鏡を見て何かついていると思って取ろうと思ったら、ほくろだったというくらいに思春期には毎日のようにふえていた。


 私が気にいらない顔は爬虫類や昆虫類に属する顔立ちと、かなつぼ眼(小さくて窪んでいる目)。ある方の講演会に行った。その方の本はかなり読んでいたから、期待して早く行き、真ん前の席をとった。さぞやステキな男性が現れるかと思ったところ、なんと、爬虫類に属する顔で、しかもかなつぼ眼ときている。予想外だった。その方の顔は見ないで話をきくようにしたが、なかなか話が入ってこなかった。帰宅して講演会に行かれなかった夫に「どうだった?」ときかれて、私が即答できないでいると、さすが長い間のわが連れ合い。「顔が気にいらなかったんだろう」と、図星。


 また、どうしても仕事で偉い方と食事をしなければならないときがあった。その人は大きい目の昆虫類の顔で、面と向かって食事をするのは大変苦痛であった。おいしいお食事だったのだが、なるべく、顔を見ないようにして食べようとしたのだが、相手は私だけに話しかけてきて、しかも真ん前に座っていたから、気持ちが悪かった。また二で割り切れない顔と、割り切れる顔とがある。もちろん、割り切れる顔は好ましい。どうもその私の直感を分析してみると、割り切れる顔の人は人生をちゃんと生きてきた人のような気がする。


 昔、故パールバック女史の晩年の写真を見たことがある。皺が多かったが、なんともいえない理知的な美しい顔だちだった。顔はその人の人生を物語る。若かった私は彼女のように年をとりたいと思ったものだった。 「四十歳からの顔には責任をもつように」とはよく言ったものである。神様から初めに与えられた容貌はそのままとしてもこの教訓のように、人生の後半になるとその人が如何に生きたかが顔に表れてくる。となると、父はどうにもならない外観といったが、少しは変えられるのではないか。中には話をしていると、その悪い容貌が気にならなくなって魅力にとりつかれる人がいるのも事実だ。


 他人の顔を爬虫類だとか、昆虫類だとか好きだ嫌いだと言っているよりも、自分がそれだけの良い顔をしているかどうかを吟味するべきだと言われそうだ。その通りだと思う。人は、持って生まれた顔があり、誰にも好き嫌いがあるが、年を重ねただけある良い顔になりたいと思う。


 この世を去る時にはその良い顔で「さようなら」を言いたいと思う。

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