シリコンバレーから54      センターピース      竹下 弘美
 毎年平均2件は結婚式がある。というのも友人達の子供達がその年齢に達してきたということだろう。お祝いごとなので招かれたら極力出席するようにしているが、本人を知らずに、親の義理で招かれた場合は断ることにしている。ところが、今回はまったく知らなかった中国人カップルの結婚式に出席する羽目になった。


 会社の同僚(といっても向こうは三十代、私もといいたいところだが)の親友の結婚式で、その同僚が、私にレセプションでのセンターピースを依頼してきたためだ。初め、いくらお花を生けるのが好きとはいえ、私はプロフェッショナルではない。大役すぎると断ったのだが、結婚するご本人、アカウンタントのサリーと会って事は一変した。ディムサムを食べながら、話は映画“華氏九一一”に及んで意気投合。彼女のご主人になる方がサニーベール市(サンホゼの隣)の民主党の市会議員であること(共和党の方、失礼)や何よりもサリーのおおらかな人柄が大好きになってしまった。(息子にいわせれば、私は誰でも大好きになってしまう傾向があるのは確かだが)時間は、あと三週間しかない。民主党下院議員のマイケル本田氏も招いているという。責任重大だ。


 チャイニーズ・レストランの回転テーブルに置くので、背の高い花瓶が良いだろうという。予算は別にいわれなかったが、いつもの私の習性でなるべくコストを安くしたいとあちこちを駆け巡り、まず花瓶を探したが、平凡な花瓶しかみつからなかった。そうとなったら、花で勝負するほかない。中国ではおめでたい席では白の花を使わずに赤か黄色だという。その日から、レストランのナプキンの色がラベンダー、テーブルクロスがピンク、回転テーブルの色が黒ということを念頭にセンターピースの花のイメージを考え始めた。難しい。そんなとき、スワンの形をした花瓶を見つけた。真紅のバラ一輪とかすみ草、しだ、それにチュールや小さなウエディングベルを付けてかわいいセンターピースが作れる。これだ。サリーも気に入り、またあちこち駆け巡ってテーブルの数の二十五個入手。一件落着。あとは花をファーマーズマーケットで仕入れるのみとなった。二日前になってから、レセプションでの大きな花瓶二つの生け込みも頼まれたが、これも前日にファーマーズマーケットで良い花がみつかった。ところが、当日の式場はワイナリーで灼熱地獄。式は二時からだったが、それから、六時に始まる中華料理店のレセプションまで、ごみ箱に入れた花材を水に浸してあるとはいえ、枯れないように持ち歩くのは大変なことだった。センターピース用のバラも開ききってしまわないかと心配だった。


 野外での結婚式は花で飾られたアーチの前で行われた。これはワイナリー専門の花やさんが担当してくれたのだが、式終了後すぐ、そのアーチから、飾られていた花をむしりとり、私の車いっぱいに積んでレセプション会場へ。ワイナリーの絶景を愉しむどころではなかった。この花をメインテーブルに再使用するように頼まれていた。準備のため、会場に早く着かなければならない。地図通り行ったのに、かなり離れていてなかなか見つからなかった。北加としては珍しく暑い日だった。私とヘルパーの友人が会場にたどりついたのは五時。すでにお客さまがチラホラ見え始めていた。急いで花材を車から下ろし、ブライドメイドやベストマンを総動員させて、二十五テーブルのスワンの花瓶を仕上げた。アーチに使った花は灼熱で萎れていたのを始末して、元気な花を挿し、四方見に仕上げてごまかすことができた。また、会場入り口に置いた結婚した二人の写真の前に飾った大きな花瓶の花も、ユリがきいてかなり豪華にできあがった。残った花を生け直してトイレに飾ったり、受け付けに飾ったりして、私のお役目はようやく終わり、ほっと一息。


 「Welcome to our Democrat & Republican National Convention」というウィットのきいた司会で、会がようやく始まった。そのくらい政治家たちの出席者が多いらしい。前日のお婿さんのバッチェラーパーティーでは五時間、政治のことばかり話していたということだ。二百五十名のお客さま。メインテーブルには上海からかけつけたお婿さんの祖父母さんが、中国服で凛とした姿を見せていた。


 指定されたテーブルに座って隣席の中国人ご夫妻と挨拶をかわした。なんと彼女はセンターピースのスワンを自分とご主人の席の間にすでに確保しているではないか。本当は会の最後にテーブルごとに誕生日が一番近い人が持って帰れることを司会者がアナウンスすることになっていた。その前にこのご婦人は「私、これ好きだから、持って帰っていいでしょう?」とテーブルの皆にきいて了承を得て喜んでいた。それにしてもそんなに気にいってくれたとは。この一両日の苦労が報われた気がした。サリー夫妻もとても満足して何度もお礼を言ってくれた。


 夜十一時過ぎ、くたくたに疲れて帰路につきながらながら、あんなに盛大な結婚式だったのに単純な小さなセンターピースがあのように喜ばれたのだはなぜかと思った。大したものではなかったけれど、納得のいく作品であったことと、ユニークであったことが成功の秘訣だったのだろう。なんだか、人間の生き方にも通じるような気がした。


 将来、娘や息子の結婚式のときには、遠大な計画で式の奏楽をしようかと思っていたが、私のピアノの腕ではせっかくの結婚式が壊れてしまうだろう。せめてお花だけでもさせてもらいたいが、さて、その日はいつ来るだろう。