シリコンバレーから54      君死に給うことなかれ      竹下 弘美
 最近見た韓国の映画「Tae Guk GI-Brotherhood in war」(邦題:ブラザーフッド・・・管理人注)は朝鮮戦争を舞台に兄弟愛を描いている。父を亡くした兄弟二人が二人とも戦闘に参加しなければならなくなった。その家庭では高校に行っている弟が家族のホープであった。働きながら、自分は学校に行かずに弟を助けていた兄はなんとか家族のために弟を帰省させようと、そのため、危険を犯して戦功をあげようとする。その戦場で弟が兄に言う。
「これが悪夢でお兄さんに家の食卓でその話をしているのだったらどんなに良いだろう」と。

 そんな思いをしている青年達が現在、この時にもたくさんいるということを、私たちは忘れてはならない。これを書いている現在、イラクでのアメリカ兵の死亡者数は千人を超えた。


 昔から人類は同じあやまちを繰り返している。


ああおとうとよ 君を泣く 
君死にたもうことなかれ 
末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや



 この与謝野晶子の詩は日露戦争のときのものだ。


ああおとうとよ 戦いに 君死にたもうことなかれ すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは なげきの中に いたましく わが子を召され 家を守(も)り
安しと聞ける大御代(おおみよ)も 母のしら髪(が)はまさりぬる



 これはまったく、最初に書いた朝鮮戦争の映画に共通する。また最近話題となった映画「華氏911」の中でも、与謝野晶子の詩で詠われているものと共通する実話があった。


 母が与えられない海外生活、専門教育、大学教育を与えてくれるからと軍に入れた息子をもつ、ライラ。彼女は毎日星条旗を掲げるような、愛国心いっぱいの婦人だ。そこにイラクでその息子が戦死したという知らせがくる。そして、戦死直前に息子が書いた手紙が届く。それには「何のために僕たちはイラクにきて人殺しをしているのかわからない」と怒りがぶちまけられていた。ライラ婦人はホワイトハウスに向かう。「正しい戦争だと信じてた母さんがばかだったわ」と泣き崩れる。正しい戦争というものはあるのだろうか。少なくとも、自分のやっていることが正しいと信じて(一部の特攻隊員のように)死をかけるならともかく、このライラ婦人のように息子の死が無駄死にだとわかったらどんなにつらいだろう。


 ベトナム戦争で侵したと同じ過ちをアメリカはまた犯しているのではないか。


君死にたもうことなかれ すめらみことは 戦いに おおみずからは出でまさね


 これも時代はまったく違うが、「華氏911」で指摘されていたことと同じだ。このドキュメンタリー映画の中でムーア監督は議会に向かう議員たちに自分たちの子供を軍隊に送らないのかときく。
「あなたたちが決議した戦争なのに、自分の子供は戦場に送らないのですか?」と彼は叫ぶ。誰ひとりとして自分の子供を戦場に送りたい人はいない。


 戦争とは大きな喧嘩でしかないように思われる。先の朝鮮戦争の映画の場合には、特にそれは南北朝鮮の戦争だったから、兄弟喧嘩のような気がした。戦争をして、良い思いをするのは誰だ?


 国連で長らく働いていた方の講演をきいた。世界平和のために作られた国連もいまや、大国の傀儡となっている。どの国も自国の利益しか考えようとしていないという。けれど、幸いなことに良識のある人々もこの国に多いことは嬉しいことだ。ニューヨークでも大規模なデモがおこなわれたことは周知のとおりだ。この近所のスタンフォード大学のあるパラアルトのデモには夫も参加した。、サンフランシスコのデモではベトナム戦争のとき、「花はどこへいったの」の反戦歌でいっせいを風靡したジョンバエズ当年六十二歳が先頭に立った。


 では私たちには何ができるのだろうか。一度しか生きられない命を何のために捧げるかを、次代を受け継ぐ若者達に伝えていくことも私たちの責任だろう。その意味で、私はアメリカ生まれの成人した娘と息子を一昨年のことだが、広島に連れていった。人類が同じ間違いをし続けないために。

 またせめてアメリカの選挙権をもつ者は慎重にこの大統領選に望んでもらいたい。


暖簾(のれん)のかげに伏して泣く あえかにわかき新妻(にいづま)を 君わするるや 思えるや
十月(とつき)も添(そ)わでわかれたる 少女(おとめ)ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで ああまた誰をたのむべき 君死にたもうことなかれ



 あちこちで泣く母妻の姿が消える日がいつかくるように。