シリコンバレーから59     宝石のひとり言      竹下 弘美
 人生の先が見えてきて、もう物欲がない。こうなったら、お終いかもしれない。身辺の整理をしている。引っ越すわけではない。ただ、美人薄命というからその日のために備えておきたい。といっても誰も私のことを美人とは思わないからこんな冗談が言えるのだろうが、急に亡くなってこんなガラクタを残されたら、後の人が困るだろうと思ってのことだ。いつも整理し続けているのに、なかなか物は減らない。


物をふやしたくないから、プレゼントなどいらないと子供達にも言う。かれらには時間を共有してもらうことだけが一番のプレゼントだ。昨年のクリスマスにもそれを要求して、夫をはじめ娘息子がサンフランシスコに一日つきあってくれた。 物を整理してわかることは子供に残すような価値のある物はないことだ。けれど、高価ではないがセンティメンタルな思い出のある装飾品を少し持っていることに気づいた。


母はよく指輪を買っていた。知人の宝石やさんが家に出入りしていて、いつも母につきまとっていた私は母が買うのを見ていた。母の世代は戦争を経験していたから、宝石が財産だったのだろう。けれど会社の若い同僚達の中にも宝石好きがいるところを見ると、世代の問題ではないのかもしれない。母とは反対に私も姉もいっこうに宝石に興味がなく、母が生き形見として私たちにくれようとする指輪類をあまりありがたがらないので気の毒だ。けれど母があまりにもくれたがるので、女学校を卒業した卒業祝いに羽振りの良かった母の伯父が買ってくれたというルビーの指輪、これをもらった。母はよくそのときのことを話す。まだ若かった母はルビーの赤さに惹かれたのだという。その伯父はダイヤでなくルビーを選んだ母に何回もダイヤでなくて良いのか、念を押したという。大人になってから考えるとダイヤにしておけばよかったのに、とその指輪を見るたびに母は残念がっていた。戦争中の金属供出のため、周りの金はなくなっていたので戦後作り直してもらったという。これは母の歴史があるので、もらっておいた。


次は婚約式のときに夫の母からもらった婚約指輪。これは義母が結婚するときに彼女の義父、つまり、私にとっては義父の父がイギリスの宝石店に特注した物で、ダイヤ自体は半キャラットだが、デザインが珍しい。韓国の国花であるむくげの花びらで囲まれている。代々長男の嫁に受け継がれていくようにということだから、息子が結婚するときに私はこれを手放さなければならない。もう百年近く経っているアンティツクだ。また、婚約式のときに手渡された物の中のひとつにジェイドのネックレスがある。まだ夫が韓国にいたころだ。一家でソウルのデパートにでかけた日のこと。あるショウウインドーの前でその中のジェイドのネックレスが欲しいといって五歳の夫は動かなかったのだそうだ。義母は
「それでは未来のあなたのお嫁さんに買っておきましょう」
と、買っておいてくれたのがこの代物だ。ふつうのジェイドは艶が生理的に嫌いなのだが、これは艶なしで、色も気に入っている。なによりも、そのときから夫が私のために選んでいてくれたということが嬉しい。あまりにも古くてついにこの間、つないである糸が切れてばらばらになってしまった。せめて夫の愛がかろうじてまだつながっていますように。


 また、数年前日本に行ったとき、友人からサファイヤの指輪と揃いのペンダントをもらった。彼女は、裕福な家庭出身だが、毎週ホームレス給食に携わっている牧師夫人だ。
「これ、もらって。こんなのしてたら、ホームレスの人達とかかわっていけないから」
という彼女の、やさしさと使命に心打たれたものだった。


一番最近手に入れたハートのペンダントのことはあまりにも悲しい。
「ちょっと待ってくださる?差し上げたいものがあるから」
とお別れに行った私に、そう言って部屋の奥に入っていった友人。彼女はその翌日、日本に発つことになっていた。子供さん二人をおいて片道切符だけを手に。子供さん一人を不慮の事故で失い、それが原因でご主人から追い出された方だった。
「これを見て私のことを思い出してね」
この金色のハートのペンダントを見るたびに彼女の幸を祈らざるをえない。


このような思い出の物は亡くしたくないが、いずれにせよ、この世のものはすたれるのだ。津波がきたらどうだ。地震がきたらどうだ。命にまさるものはないではないか。宝石類よりもすばらしい愛だけを残したい。


結婚ゆび輪はいらないといった 朝顔を洗うとき 私の顔をきずつけないように
身体を持ち上げるとき 私がいたくないように 結婚ゆび輪はいらないといった
今、レースのカーテンをつきぬけてくる 朝陽の中で 私の許に来たあなたが
洗面器から冷たい水をすくっている その十本の指先から 金よりも銀よりも
美しい雫が落ちている (星野智弘詩集より)