シリコンバレーから63   芸人の町、ニューヨーク        竹下 弘美
 息子のNYU(ニューヨーク大学)の卒業式でニューヨークに一週間滞在した。ニューヨークの地下鉄はわかりやすいし、どこに行くにも二ドルというのはありがたい。その上一週間の周遊切符はたった二十四ドル。乗り放題だ。バスはニドル五十なのに同じパスが使える。今回でニューヨークに行くのは最後になるかもしれないので、この周遊券をフルに使っていろいろな所へいった。昔のようにホームレスの人を見かけなかった。


 地下鉄の中でさえ、エンターテイメントがあるのはさすがニューヨーク。昼の地下鉄ではたいてい大道芸人が乗ってくる。一駅の間にショーをすませて、お金を集めるタイミングもすごい。若い黒人のヒップホップダンサー二人もかなり上手だったが、お金を出す気にはならなかった。次に出くわしたトランペット奏者は白人の老人でオーケストラのカラオケをバックに、私たち好みのオールディーの曲を二駅にかけて演奏した。最後にニューヨーク・ニューヨークで閉じたときには思わず、トランペットの先にぶらさげている帽子の中にお金を投げ込んだくらいだった。きっと彼は昔一世を風靡したトランペット奏者ではないだろうか。今はもう檜舞台には出られないが、奏でることをやめることはできない。だから.唯一の舞台が地下鉄の中..…、などど、チャップリンの「ライムライト」を思い出した。


 ブロードウェイのミュージカルも見たいと、タイムズ・スクエアの当日券を安く手に入れるブースに並んでいるときにも、その列の中に三つ編みの髪をいっぱいたらした南米人らしき男性がスペースをかきわけてきた。取り出した洗面器のような金属でできた丸い器の中を叩き、見事に曲を演奏しだした。脇においてある箱には誰もお金を入れる様子がない。そうこうしているうちにポリスマン二人が現れ、彼は演奏をやめさせられた。きっとライセンスを取っていないのだろう。一方の端ではマイクを持って歌い続ける男性もいたのだから。この人は許可を得ているのか堂々と歌い続けていた。でも彼の箱にも誰もお金を入れていなかった。みんな自分のタレントを発揮する場所を探している。ニューヨークはそんな人たちでひしめいているのだ。


ブルックリンで間借りしている息子の部屋で雑誌、「ニューヨーカー」の五月十六日号を見た。表紙が面白い。地下鉄の電車のドアが開いているが、中は人でぎゅうぎゅう詰め。プラットフォームには卒業式のガウンと帽子をかぶった、今卒業したばかりの大学生が地下鉄に乗れず、ひとり立っている。しかもそのガウンは息子たちの大学のカラー(紫)だから、NYUの卒業生にあてているということは見え見えだ。


息子の行っていた芸術学部の卒業式は、エンターテイメント劇場で知られるマディソン・スクエア・ガーデンで行われた。この欄で四年前に書いたことがあるが、二〇〇一年の八月末にニューヨーク大学に入学したこの生徒たちは、二週間後にあの九一一の惨事に出会っている。大学と目と鼻の先だった。その日は、私も息子と半日だけだが連絡がとれなかった。生徒たちは歩いてマンハッタン橋を渡って避難したのだった。そのことを思うと、よくこの四年間がんばったと卒業生みんなをほめたくなる。親の中には、ニューヨークに子どもをおいておくことを危険に思ってすぐ退学させた人たちもいた。


卒業式は芸術学部らしく六人のダンサーのダンスで開幕し、寸劇もあった。学長などの挨拶のあと、それぞれの科の卒業生が起立すると、教授たちが一言づつ、はなむけの言葉を述べる。舞台俳優科、写真科、映画テレビ製作科、舞台装置科、ダンス科と多彩だ。


ある先生は速足で走るのではなく、自分の心臓の鼓動をきいて歩くようにとの言葉を。ある教授はあなたたちは今から羽ばたくのですよと。ダンス科の先生は、いつも踊っている自分の目の前が、正面舞台なのだということを忘れないようにと言った。


なによりも受けたのは、ゲストスピーカーとして招かれた同窓生のジム・テイラーのスピーチだった。彼は最近の話題映画「アバウトシュミッツ」や「サイドウェイ」を書いている。「サイドウェイ」で今年アカデミー脚本賞を受賞した。彼の話はベーカリーで一人の婦人がつぶやいた言葉「 I am not a muffin person 」から始まった。その言葉を聞いたとき、世の中はマッフィンが好きな人と、嫌いな人の二つに分かれるということに気づいたそうだ。それを話の糸口に、卒業生に「あなたは何者ですか」と問いかけた。自分がどんな人間であるかの種類別を自分ですること、自分を知ることから始めるようにと。さすが書くことの専門家だけある。聴衆を笑わせながら核心に導いていく。


芸術学部卒の生徒は、この世の中で仕事をみつけるのは大変なことだろう。けれど、彼の言うように自分が何者で、何をしたいのかを把握するなら、あの混んだ地下鉄に乗るコツを得るかもしれない。もしかしたら、地下鉄の中での大道芸人に終わるかもしれないが、自分がしたいことをすること、それが一番幸せなのではないか。


ワールドトレードセンター跡を見に行った。グラウンド・ゼロはかなりの広い土地だった。犠牲者の何千という名前が書かれ、ビルの残骸で十字架の形になって残っていた鉄骨がそのまま残され、フェンスのワイヤーには真新しい花がたむけられていた。


あの大学を卒業した学生たちが羽ばたくためにも、あの大道芸人が芸を続けるためにも世界の平和を祈らざるをえない。