〜 第3日目 〜
オランダの人は大柄、ベルギー普通、フランス結構小柄もいる。そんな印象でした。ところでユキさんのご指摘通り、ヨーロッパの若者はどうしてあんなに美形なんだろ?男の子も女の子も本当にきれい。で、歩く姿が実にいい。確かに小顔、8頭身、長い手足をバランスよく動かして、すっすっと歩く。まったくカッコいいんだわ。腰を落として、ズルズル、ペタペタ猿歩きしている日本の若者に見せてやりたい。若者はブランド品に血眼になって群がるより、あの歩き方をまねるべきです。子供達も可愛いよ。ショーウィンドーに飾ったら、そのままお人形みたいな子供やベビーがいるわ、いるわ。思わずおばさんもにっこりよ。

では、旅日記 その3 始めます。

10月27日(日)オステンド--ゲント--ブリュッセル

昨日曇り空の下、荒れ狂っていた北海は、打って変わって快晴ピーカンの空の下、べた凪の青、青、青、一面の青…早起きしてまた散歩。何ていい気持ち。イギリスまで泳いでも行けそうだ。これでまた朝食は常の3倍いけるわ。美味しいのよ、どこのホテルもパンが。ハムもソーセージもチーズもね。独断と偏見、勝手な日本基準で海は南、食は北とずーっと思い込んでいましたが、改めます。北の海もいいです。10時にはオステンドよ、さようなら…

ゲントって聞いたことあります?案内書にもあまり詳しく載ってはいないし、友人にいたってはゲンクの間違いじゃないのと言い出す始末。確かにいまベルギーでゲンとくれば、サッカーの鈴木選手がいるゲンク。ゲントじゃない。ところが、ところが、この街がすばらしかったのです。ブルージュが京都なら、ゲントは鎌倉、ブルージュがたおやめなぶりなら、ゲントはますらおぶり。ゲンクは城塞都市。同じように、広場、市庁舎、教会、鐘楼、市場、ギルドハウス、一般の民家があるのですが、すべて骨太で、大振りで、男性的、しかも観光地化されていず、人々が現に生活している街。古い、古い中世のお城もある。でも、馬車は走っていません、自動車と路面電車です。ブルージュの優しい赤みを青みに変えたような色彩の街。と、突然、青空が一転にわかにかき曇り、どっわぁーっと雨が降ってきた。ポツリ、ポツリ、ザァーではない。いきなりどっわぁー。おまけに東京辺りじゃ台風のときだってこんな風は吹くまいと思うほどの突風。小柄なメンバーはズズズズーッと吹き飛ばされ、別の人は街燈のポールにだっこちゃんのようにしがみつき、私と友人は車の陰にしゃがみ込んだ。すごかったよ。窓に飾ってあるプランターは落ち、壁のタイルははがれ、消防車が出動して後始末していた。レストランや喫茶店の外においてある椅子もテーブルも吹き飛んでいた。鎖で固定してあったのに。ガイドさんの話では年に1〜2度こんなお天気の日があるのだそうで、私達は運良くその日を体験できたということです。平野の国は北風、南風、東風、西風がさえぎるものもなく、吹き荒れるのですね。

さて、夕方ブリュッセル到着。私のシャンソンの師匠の石井慶子さんのご友人の画家の方の素敵なお家にご招待されました。古い、どっしりとした石造りのヨーロッパの家。中は抽象画を描くご主人の人となりがしのばれる白いモダンな印象。シャンパンで乾杯し、楽しい語らいの後、レストランに繰り出した。慶子先生はディナーショーを開きました。お料理すごかった。舌平目のムニエル、私の大好物。日本で見かけるもののゆうに3〜4倍の大きさ、まるで男性の靴底みたい。でも、超美味!あんなの初めて食べた。

さて、30人ほど入るレストランは日本人が私達と慶子先生のベルギー在住のお知り合い4人、あとは現地のベルギー人、その中で普段と変わらず、先生は素敵に歌っていた。さすが。問題は私。実はこの機会に生徒さんにもということで、5人の生徒が歌うことになっていたのです。私は、ベルギーならジャック・ブレルでしょう、ジャック・ブレルなら「平野の国」でしょうと単純に選曲していた。ところが道々、ガイドさんの話によると、ベルギーの人は「平野の国」を国歌の次くらいに大切にしていること、「平野の国」を知らないベルギー人はいないらしい。私はだんだん怖くなってきた。そんな歌を先生ならともかく、私のようなど素人が歌っていいのか、ベルギーの人はどう思うだろうか、そんな思いが頭の中でうづ巻いて、不安だらけ。でも、先生、ガイドさん、仲間に励まされて、「ええい、ままよ。」歌ってしまった。温かい拍手に包まれた。夢のよう。「メルシ、マダーム」という声が聞こえた。ただただ嬉しかった。この経験は私の生涯の宝物です。今夜はブリュッセル・シェラトンに泊まる。ああ、広い部屋、広いベッド、しあわせ〜〜。だって、今までヨーロッパスタイルで結構狭くて、ベッドも小さかったのよ。

明日はブリュッセルからパリへ